式内 甘露神社
概 要
社号 式内社 因幡国巨濃郡 甘露神社
読み:古 カムロ 現 かんろ
所在地 鳥取県岩美郡岩美町字陸上493
旧地名 因幡国巨濃郡
御祭神 大山祇命(オオヤマツミ)、啼澤女命(ナギサワメ)
例祭日 10月10日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
巨濃郡[コノ] 9座並小
式内社
近代社格制度
創建 仁寿2年(852)5月
本殿様式
境内摂社(祭神)
一口メモ
鳥取県と兵庫県の県境、因幡最北東に位置する式内社。甘露神社の甘露はおそらく神室(かむろ)か神路が転嫁しかんろになり甘露という字を充てたのではないだろうか。この細道は神の路と、そう思えてくるほど自然が残っていた。
国道178号線は部分的に鳥取豊岡宮津自動車道が開通して、浜坂から東浜居組道路をトンネルで抜けると陸上(くがみ)へ右折とある。東浜海水浴場で知られる。地図では東浜駅の南の麓なのだが、どう行けばいいのか分からず、線路づたいに集落の狭い中心道路を行ったり来たり、駅前の案内地図を確かめると、確かに駅の南のすぐそこに甘露神社と記されている。困ったなあと旧東浜小学校前に戻ると線路の縁に神社の石柱があるのを発見したときは嬉しくなった。車で行く道がないことが分かり、小学校前に車を停めて踏切もない線路を横切った。何年ぶりだろう。無人駅だからだが、子供なら駅員さんにしかられるケースだ。他に道らしきものがない。
線路を越えると平行に左右が長い笹に覆われた参道が見えてきた。低い山の沢に位置し薄暗いが怖いというより、神秘的な空間だった。石段を登ると中間に滝があり、さらに上にも滝がある。まさに神域にふさわしい水が湧き出る聖域だ。 本殿はこじんまりしているが、本殿も古く立派。社殿の横に整地した跡地があるが建物はない。写真の水玉は雨模様でカメラのレンズに水滴がかかっている。
歴史・由緒等
甘露神社の甘露はおそらく神室(かむろ)か神路が転嫁しかんろになり甘露という字を充てたのではないだろうか。この細道は神の路と、そう思えてくるほど自然が残っていた。
「延喜式の調査」さんによると、
旧跡鎮座地は、現在地より西ヘ約1Km、陸上川の向う側、通称神谷山に在あった。
中古戦乱の時、海賊来り侵して民家に放火す、村民離散して神事を執行することができなくなり現在地に遷座した。
江戸期には中島村(現在の東陸上)の生土神として、海浜の山下松林中に在る氏神藏王権現と二神同社に鎮祭した。(山の方蔵王権現海の方甘露神社と称した)。
境内・社叢
社号標 社頭掲示板
道路からJR山陰本線東浜駅のすぐ西にある敷石もない踏切を徒歩で渡る
鳥居 参道
注連柱
小川をまたいで境内
拝殿 本殿
地名・地誌
陸上(くがみ)
『国司文書・但馬故事記』
人皇十代崇神天皇十年秋、丹波青葉山の賊、陸耳ノ御笠、土蜘蛛匹女等群盗を集め、民物を略奪す。(中略)天皇、開化天皇の皇子、彦坐命に詔して、これを討たしめ給う。(中略)十月三日、彦坐命は諸将とともに陸耳・土蜘蛛等を追撃す。陸耳・土蜘蛛等は島の影に潜む。故にその所を称して屈居浦と云う。
久流比足尼は土蜘蛛を追い、これを斬る。彦坐命は諸将を督して陸耳に迫る。その時、彦坐命の甲冑鳴動し、光輝を発す。ゆえにその地を鎧浦と云う。
等芸利彦命は進んで陸耳に迫り、これを刺し殺す。ゆえにその地を
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